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 c-1 姫路城訪問記 07/05/18 

 姫路城といえば、白壁の天守群(写真)や本丸を取り囲む多聞櫓群を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、姫路城にはあまり知られていない見所が他にもあります。それが、中堀です。
 姫路城へは、今まで3度訪問しています。当時は天守閣や櫓などの建造物にしか興味が向いていなかったこともあり、天守閣に登るのが一番の目的。でも、この10年くらいは城下町の構造にも関心が向くようになったこともあり、どこの城へ行っても外堀(中堀・総堀)を歩くことが多くなってきました。そんなわけで、今日は天守閣へは登らず、中堀沿いを散策してみました。

駅前通りから望んだ天守群

 中堀

 秀吉時代の姫路城を拡張し、総構えの城下町を完成させたのは、関ヶ原の戦い以後に姫路に入った池田輝政とされています。内堀で囲まれた中曲輪の周囲には、中堀で囲まれた武家屋敷、外堀で囲まれた町屋が配置され、いわゆる三層構造の城下町となっています(図参照)。
 明治維新後、多くの城郭が解体されていく中、陸軍の中村重遠大佐による尽力で、姫路城は破却を免れ、今日に至るまでその優美な姿を今に残しています。
 
 一方、城郭を取り囲んでいた中堀や外堀は、他の旧城下町と同様、市街地の発展や道路・鉄道の整備により、埋め立てられて行きました。外堀は、山陽本線の北側にあったといいますが、現在はその痕跡すら残っていません。中堀は、大正初期の国道2号開通に伴い南側が埋め立てられはしましたが、土塁や城門の石垣の保存状態も良好です。

 今日の散策ルートは、中曲輪の南西端の埋門跡から総社門跡までの国道2号線沿いです。

姫路城縄張り図(案内図より)

 埋門(うずみもん)

 
城郭の西側に流れるのが、外堀の役目を担っていた船場川(写真左上)。その東側には、船場川と平行するように中堀がありましたが、南端の部分は埋め立てられていて公園になっています。ここが中曲輪(中堀で囲まれた区域)の南西端にあたり、埋門が置かれていました。現在も石垣が保存され、案内板が設置されています。案内板に描かれた復元図は写真右のようです。
 ここを基点に2号線を東進するわけですが、ちょっと驚いたのが歩道上に残る石垣跡(写真左下)。虎口石垣が、通行の障害になっているにもかかわらず、撤去されることもなく保存されているのには感激。道路の南側に渡って、埋門跡の全貌を眺めると、中堀沿いに配置されていた城門とはいえ、その大きさをうかがい知ることができます。 

船場川 埋門の復元図
埋門跡(西側から望む) 埋門跡(南側から望む)

 埋門跡から2号線に沿って東に進みます。2号線の北側には、中堀の土塁が延々と続いています(写真)。土塁の北側は、県営住宅や小中学校、そして民家となっています。

土塁


 G門(くまたかもん)

 250mほど進むと、次に見えてくるのがG門。難しい漢字ですが、「くまたかもん」と読むそうです。こちらも虎口石垣が保存されていて、さらにはその間に車道が設けられています。

G門の復元図 G門跡

 埋門、G門の東には中ノ門、総社門と続きます。中ノ門跡には幅広い車道が設けられていて、門の礎石は残されていません。総社門跡は、姫路駅から北に延びるメインストリートが貫通し西側の石垣が残るのみとなっています。

中ノ門跡 総社門跡

 
 今日は所用で姫路を訪れ、短い時間でしたが、今までに見ることもなかった中堀沿いを散策することができました。今度は一日ゆっくりと時間を掛けて外堀・中堀沿いを遺構をじっくりと観察したいものです。