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岸和田城

1、所在地 大阪府岸和田市
2、歴史
 天正11年(1583)、中村一氏が築城。同13年(1585)、小出秀政が入城、大規模な改築を行う。
 元和5年(1619)、松平康重が5万石で入封。さらに、寛永17年(1640)、岡部宣勝が入封、外曲輪を整備した。
3、縄張り
 本丸と二の丸を中心に、馬出状の三の丸・外曲輪・町曲輪が置かれ、さらにこれらの曲輪を総堀が取り囲んでいた。その北側を古城川が流れていた。なお、北東から南西にのびる海岸線・紀州街道を基本に縄張りがされているので、北西が正面になる。
4、現状
 内堀(本丸堀)と外堀(二の丸堀)を残すのみで、その他の堀はすべて埋め立てられて道路となっている。



1、内堀
 (1)外側から

 本丸の周囲を内堀が取り囲む、本丸を取り囲む石垣もほぼ江戸期のまま残っている。幅は35m。

[西隅]→北西

[西隅]→南東

南西→内側

[南隅]→北東

[南隅]→北西

[南隅]→内側

南東→内側

[東隅]→内側

[東隅]→北西

[北隅]→南東

南西→[東隅]

石橋・北東→[北隅]

 (2)天守閣から


→西

→南西

→南

→東

2、外堀
 (1)外側から

 二の丸の周囲を外堀が取り囲む。町曲輪に接する北西側は、「百間堀」と言われて現在よりも幅があったけれど、堺阪南線(旧国道26号線)の敷設により一部が埋め立てられている。幅は30m、旧国道沿いは20m。

[東隅]→北西

[北隅]→南東

北西→[北隅]

南西→[北隅]

[西隅]→北東

[西隅]→南西

 (2)内側から


[東隅]→北西

[東隅]→東

[東隅]→外側

[西隅]→外側

[西隅]→西

南西→[南隅]

[南隅]→南

[南隅]→北西

3、古城川

 総郭の北側に設けられた総堀は、岸和田港塔原線となっている。その外側に流れていた古城川も埋め立てられているが、昭和橋以南は「古城川緑道」として散策路に、以北も川道の痕跡が残っている。幅は5m。。

欄干橋

欄干橋→南東

昭和橋→南東

城見橋→南東

城見橋


 〈一口メモ〉

 
小規模な曲輪が、いくつも浮島のように浮かぶ城郭。縄張り図や模型で見た岸和田城の印象である。そのような城郭の多くは現在、堀が埋め立てられてしまって、曲輪のラインが街に埋もれてしまったり、海や湖に消えてしまったりと、江戸期の様子を現在に伝える遺跡は少ない。

 そんな中、小規模な本丸が広大な堀に浮かぶ岸和田城は、なかなかお目にかかることのできない貴重な光景といえるのではないか。本丸石垣を眺めながら是非、内堀沿いを一周したいものである。

 二の丸からは、旧紀州街道の街並みを眺望することができる。街道を歩いてみると、街並みの隙間から天守や二の丸石垣を垣間見ることができる。なかなか風情がある。