大和郡山城
1、所在地 奈良県大和郡山市 2、歴史 天正8年(1580)、筒井順慶が築城。同13年(1585)、豊臣秀長が100万石で入封、城郭の中核部分が完成。文禄4年(1595)、増田長盛が20万石で入封、外堀を整備した。 関が原の戦い以後、廃城されたが、元和元年(1615)、水野勝成が6万石で入部、以後、奥平松平家(12万石)、本多家(19万石)、柳沢家(15万石)などの譜代が続いた。 3、現状 三の丸周辺は市街地化して、中堀の一部が埋め立てられているが、内堀や多くの中堀などの保存状態は良好である。また、外堀も市街の随所に残されている。
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内堀は、本丸の南東隅の土橋を起点に左回りに一周、さらに毘沙門郭(本丸ニの郭)の北東へと続く。 本丸の西側、新宅郭と厩郭の西に松蔭堀が設けられている。 (1)本丸堀 (2)毘沙門郭堀 (3)松蔭堀 |
(1)本丸堀
1)外側(土橋より左回り)
本丸の周囲を、毘沙門郭・常盤郭・厩郭・新宅郭が取り囲む。厩郭・新宅郭は、郡山高校の敷地となっているが、堀沿いに散策路が設けられている。堀はあまり整備されているとは言えないが、本丸の高石垣や深い堀は壮観である。幅は20〜30m。 | |||
土橋→北 |
毘沙門郭→月見櫓 |
北→本丸北東隅 |
厩郭→本丸北西隅 |
南→厩向櫓 |
南西隅→北 |
南西隅→西 |
2)内側から
(2)毘沙門郭堀
1)外側(土橋より左回り)
本丸を左周りに一周した本丸堀は、東に位置する毘沙門郭の南側・東側を取り囲み、追手門前まで達する。本丸堀と異なり、丘陵地の外縁に設けられているので、多くの水を湛えている。幅は、15〜25m。 | |||
竹林橋→東 |
東→竹林橋 |
南→二の丸・南西隅 |
南東→弓櫓 |
南東隅→北 |
南東→追手向櫓 |
北→南東隅 |
追手東隅櫓→南 |
2)内側
(3)松蔭堀
本丸の西に、厩郭・新宅郭が配置され、そのさらに西側に設けられているのが松蔭堀。北端の一部が埋め立てられている。松蔭堀の両側が郡山高校の敷地となっているため、南端の松蔭門付近からしか眺めることはできない。幅は15m。 | |
松蔭門→北 |
同左 |
〈一口メモ〉 豊臣秀長、100万石の居城に相応しい壮大な堀である。大和郡山城は、丘陵の南端に位置し、本丸や内郭の北西部はその地形を生かし、深い堀が巡らしてある。内堀はほぼ完全な状態で残されている。堀の整備状況はあまりいいとは言えないが、高校の敷地内に散策路が整備されていて、本丸堀を外周からでも眺めることができるのはうれしい。 藩政期は、小規模な譜代大名が配置され、天守閣が上げられることもなく幕末を迎えている。広大な城跡に、復元櫓と復元門がみられるだけで、城郭ファンの間ではどうも評価が低いように見受けられるが、大阪城を彷彿とさせる深い堀は、堀ファンには必見である。 |
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