TOP > 堀巡り > 讃岐丸亀城

丸亀城

その2へ

1、所在地 香川県丸亀市
2、歴史
 慶長2年(1597)、生駒親正が標高66mの亀山に丸亀城を築城、内堀と外堀が設けられる。元和元年(1615)には一国一城令により廃城となる。
 寛永20年(1643)、山崎家治が5万石で入城、丸亀城を再築する。明暦2年(1657)、山崎家断絶。
 万治元年(1658)、京極高和が6万石で入城、寛文10(1670)には大手を南から北に移す。京極家は維新まで存続した。
3、縄張り
 天守閣のある本丸を中心に、二の丸や三の丸、帯曲輪がらせん状に取り囲む。これらの内郭を内堀と外堀が二重に取り囲んでいた。、あた。外堀の北側には東西に海側へと延びる堀が設けられていた。

4、現状
 内堀は、ほぼ完全に残存している。外堀は戦後、すべて埋め立てられた。



内堀
 1、内堀
 2、外堀
 


1、内堀

(1)大手門〜北西隅
 1)外側から

 大手のある北側は、大手門を中心に石垣となっていて、左右に櫓台と堀留が設けられている。幅は、25〜35m。

大手二の門

東→大手

大手一の門

大手→東

大手→西

西→大手

堀留

西→

北西隅→東

北西隅→南

 2)内側から


東櫓台→大手

西櫓台→大手

西櫓台→西

堀留

西櫓台→外

(2)南西隅〜搦手橋
 1)外側から

 北西隅からは、土塁の堀が続く。

西橋→北西隅

西橋→南

西側→内

西南隅→北

同左

西南隅→北

西→搦手林

同左

→西

搦手林

 2)内側から


西橋→南

搦手林→南

搦め手林→北

(3)搦手橋〜北東隅
 1)外側から

 搦め手(生駒・山崎時代には大手)の南側は、緩やかに曲がりくねった土塁の堀が続く。

西→搦手口

搦手口

搦手口→西

搦手口→東

西→南東隅

南東隅→西

 2)内側から


西→搦手口

東→搦手口

搦手口→南東隅

南東隅→西


その2へ→